なぜ、この人の話はわからないのか 特集「あなたの言ってることがわからない」

少し間が空いてしまいました。早稲田文学2015年夏号「特集 あなたの言ってることがわからない」の内容紹介のつづきです。今日は、「わからないを生む非対称」パートです(「IS・中東・他者をめぐって」パートはこちらから)。

早稲田文学2015年夏号 表紙:高橋源一郎小野正嗣 撮影:篠山紀信

徹底的に大人気なく振る舞うこと 鹿島田真希「意味のわからない言葉」

『冥土めぐり』で芥川賞を受賞した鹿島田真希さんのエッセイ。
ある女性に投げつけられた侮蔑の言葉をめぐる戸惑いと憤りを語ります。その言葉とは「奥さん? お嬢ちゃん?」。
発言の主は、全共闘世代でウクライナ人の友人がいるという女性。彼女は、鹿島田さんが質問すると、舌打ちし「社会を勉強したことがないのかなあ」と言ったのち、この侮蔑を投げつけます。
この言葉の裏には、「無知な人間は皆、就労経験がない、という認識」があります。そして、誰の妻か娘か、つまり「1人の固有名詞を持った女性に対して、所有形容詞を使ったということだ。」
義憤を覚えると同時に、自分のなかに生じた感情に言葉を失う鹿島田さん。今まで自力で知ろうとしなかったという怠慢と恥ずかしさ。そして、さらに無知に思われたくなかったから、二の句を継げなかったという虚栄心。
全共闘ウクライナ問題に対して言葉を持たない自分でも、彼女のその差別的な扱いについては、物も申せたはず。目の前にいる年少者をなぜ啓蒙しないのか、と叫ぶこともできた」。「自分というたった一人の人間として奥ゆかしく振る舞いたいがために、全ての女性に対する、相手の潜在的差別意識を暴くことを放棄したのだ。とても大切な義務を投げてしまったのだ。…虚栄心の分厚い殻を破って、徹底的に大人気なく振舞って怒りを露わにしていたら、彼女だって理解を示したかもしれない」。
いつの間にか身につけてしまった〈大人の振る舞い〉をしようとするとき、思い出したい一文です。

こんなに違う人の受け取り方 枡野浩一「目と鼻と口」

歌人であり、「詩人歌人と植田マコト」というトリオで漫才を行っている枡野浩一さんによるエッセイ。
枡野さんが訪れた、メガネ屋の店員が雑談のなかで話す悪口。どうやら緑のコートを着た客のことらしい。枡野さんは焦げ茶色のコートだから関係ないと思って、店員に目をやると…。
先日もネットで、ドレスの色が「白と金」、「青と黒」のどちらに見えるかが人によって変わる画像が話題になりました。ことほどさように、五感を通じた体験は、人によって大きく異なります。
このエッセイでは、枡野さんが驚いた「違い」がいろいろ語られます。たとえば、「男でもキスが好きな人は多い」ということ。キスが嫌いで、サービスでやるものだと思っていたという枡野さんが、ネットでキス嫌いを告白したら、大騒ぎに。しかも、キスが苦手になる身体的な原因もあるらしい!?

気になりつつも隠される女性器の名 丹尾安典「漫談」

美術史家の丹尾安典さんのエッセイ。アーティストのろくでなし子さんの《マンボート》や、性器を描いた美術作品をめぐるもの。
丹尾さんは「『桃源華洞』『女陰万考』といった書を手元におき、常に学び、沈思黙考を重ね、女性器名称のウンチクだってかなりなレベルに達していると自負していたのに」、ある記事で何度も書かれた「まんこ」という言葉にドキっとしたといいます。
そこから、なぜこの言葉がこんなにも避けられるのか、ろくでなし子さんの著書を読みながら追いかけていきます。
沖縄の著名な湿地帯の名や、沖縄の言葉をめぐるオチも秀逸です。

精神科を訪れる人の「わかり易さ」 春日武彦「(あまりにも)わかり易い人たち」

精神科医春日武彦さんのエッセイ。
精神科には、得体の知れない人、不可解な人がたくさん訪れると思いがちですが、春日さんによれば、「あまりにわかり易い」人がほとんど。そのことと「彼らの悩みや苦境の程度とは何の関係もない」と留保したうえで、春日さんが紹介するのはこの2人。
20代後半の独身女性は、自傷癖や摂食障害があり、薬物依存になりかけたこともある。目鼻立ちは美人。彼女には体重に関する異常な執着があるそうです。何としても39キロの体重を維持しようとする彼女は、「体重計に載らなくても39キロを越えたときにはそれがはっきり分かる」といいます。その訳は…。
もう一人は、70代半ばの男性。妻とは死に別れ、子どももなく、年金でアパートに独り住まい。彼はある日、声をひそめて春日さんに告白します。自分はこの病院の近くにあるソープランドの女性たちを悶絶させるテクニックで有名なのだ、と。詳しく聞かれ、男性が披露するのは…。
春日さんは「人の心にはわかり易いものの組み合わせや下世話な要素しか(たぶん)ない」といいます。「でもわかり易いものの組み合わせや並べ方次第で、我々はいともたやすく困惑したり驚愕させられてしまうのである」。


今日はここまで。特集後半の「職場で、学校で、家庭で」はまた後ほど!


早稲田文学は、全国書店・各種ネット書店でご購入いただけます。

早稲田文学 2015年夏号 (単行本)

早稲田文学 2015年夏号 (単行本)


◆コンテンツ
グラビア Kishin×WB
特集*あなたの言ってることがわからない――シャルリ・エブド襲撃事件から家庭のことまで
◎IS・中東・他者をめぐって
【対談】
常岡浩介+ヤマザキマリ「懐疑と寛容の旅暮らし」
【往復書簡】
サイイド・カシューア+エトガル・ケレット【訳・解説・秋元孝文】「ハッピー・エンディングな話を聞かせてくれよ」
【論考】
郷原佳以「近い他者 遠い他者――デリダと文学的想像力」
◎わからないを生む非対称
【対談】
高橋源一郎小野正嗣「不自然に惹かれて」
【エッセイ】
鹿島田真希「意味のわからない言葉」
枡野浩一「目と鼻と口 」
丹尾安典「漫談」
春日武彦「(あまりにも)わかり易い人たち」
【相談】
島田雅彦「此岸先生の誠実?問答」
【エッセイ】
泉京鹿「ママのきもちがわからない」
牧野雅子「妄想世界の語り部たち――性暴力加害者インタビュー序章」
大橋由香子「女子が職場で遭遇する、あれやこれや」
ねじめ正一「寄り添うということ」

【小説】
松田青子「みがきをかける 」
カレン・ラッセル(訳・松田青子)「帰還兵 」
牧田真有子「すきとおった鱗たちについて――泥棒とイーダ2 」
矢部嵩「処方箋受付」

【翻訳連載】
ウラジーミル・ソローキン(訳・松下隆志)「テルリア 第二回」
ドン・デリーロ(訳・都甲幸治)「ホワイトノイズ 第六回」
閻連科【訳・泉京鹿】「炸裂志 第四回」

【論考】
栗原裕一郎「虚構という「系」から「きみ」を救い出すこと――最果タヒ小論」

【レビュー ことばの庭】
岩川ありさ「古典文学が紡ぐもの――絶望を分かち合うことができた先にある希望」
辻本力「東海林さだおの丸かじり 」

【デザイナー対談】
名久井直子&奥定泰之「文芸誌できるかな?〔その2〕 」

【新人賞】
第25回 早稲田文学新人賞二次予選通過作品発表
第26回 早稲田文学新人賞予告