メディアに紹介されました。

平岡篤頼『記号の霙』が、週刊読書人(2008.07.04)にて紹介されました。

氏の文学の原点がここに
「先生」と呼ばれる最後の"早稲田派"の文人(評者:川村湊氏=文芸評論家)

(…)身銭を切って『早稲田文学』という文芸雑誌を主宰していた(といってもいいだろう)平岡氏は、早稲田出身といったケチなことに拘らず、他大学出身の若手文芸評論家にも発言や発表の機会(場所)を与えてくれた。私もその恩恵を蒙った一人で、今でも「平岡先生」と口走りたくなるのである。たぶん、それだけ平岡氏は、批評や小説、つまり文学が好きだったのだ。特に自分より若い批評家たちが、侃々諤々の論争をしているのを聞いているのが好きだったのだ。そして、同じような立場で時々、口を挟むことも。
だが、平岡氏の遺稿集『記号の霙』を読むと、井伏鱒二から森敦小島信夫から小沼丹までの、きわめて"シブイ"名前が並んでいるのである。ヌーヴォー・ロマンでもなく、全共闘世代の評論家たちの内ゲバ的な論争でもなく、平岡氏の文学の原点は、ここにあるのかと、改めて納得させられるような遺稿集の組み方なのである。ここで平岡氏は、まさに寛いだ形で、自分の好きな小説、文学者について語っている。しかも、それはフランスの構造主義的なテクスト論や記号論を通過して、自家薬籠的なものとなった構造分析や記号の戯れを平易に解き明かしたものとしての批評の実践なのである。
(…)あらためて平岡氏は"早稲田派"だったのだと思う。もちろん、これは井伏鱒二小沼丹を取り上げているからということではない。精神の動きとしての散文精神、フランス語でいえばエクリチュールの思想として、文学作品があるという意味での文学観が、日本では"早稲田派"として表象されるような気がするからだ。平岡先生は、「先生」と呼ばれる最後の"早稲田派"の文人だったのである(…)。(抄録)

ご高評ありがとうございました。


記号の霙 井伏鱒二から小沼丹まで (WASEDA bungaku Classic)

記号の霙 井伏鱒二から小沼丹まで (WASEDA bungaku Classic)